日時計から始まった陰陽五行説。
古来、天文学なんて学問はなかったので、日の満ち欠けを毎日観察し、冬至と夏至を発見し、農暦(旧暦)がつくられ、春夏秋冬を分類していきました。
季節ごとの移り変わりと人に与える影響、それを合理的に区分けしていったのが”陰陽五行説”であり、”易経”です。
「万物は常に変化する。」
帝王学の鉄板であり陰陽五行説のベースである”易経”は英語では”The Book of Change”と呼ばれ、「万物は常に変化する。」という事を強くうたっています。
仏教にも、
- 盛者必衰
- 栄枯盛衰
- 生老病死
など変化を表す言葉がありますが、
元を辿れば仏教や神道、儒教、道教も陰陽五行説の影響を受けています。
日本人が桜を好むのも、いつでも見れるものではなく、咲いては散る儚さを知り、変化しているからこそ愛着が湧くんだろうなと思ったりします。
日本文化と陰陽五行
日本文化と陰陽五行のつながりはたくさんあって、
・年賀状の干支は陰陽五行。
・七五三も陰陽五行。
・相撲の四隅にさがっている房も陰陽五行 (青・赤・白・黒)(黄は土で土俵)。
・還暦の由来も陰陽五行(十干を木火土金水に分類し、十二支と組み合わせると5×12=60)
・土用のうなぎ も陰陽五行
・曜日も陰陽五行(木火土金水+陰(月)陽(日))
神社や茶道にも影響与えてます。
他にも身近なところでは、野球の阪神の球場”甲子園”の由来は、陰陽五行からついてます。
(甲子園が完成したのは大正13(1924)年8月1日。この年は十干が”甲(きのえ)”で十二支が”子(ね)”だったので甲子園とつけられています。(本来は虎ではないです。))
東洋医学の復興
戦前は”陰陽五行(易経)”を学習する機会も多かったようです。
明治維新やWW2以後急速に西洋文化が入ってきて、東洋思想は随分影を潜めましたが、ワクチンの副作用、薬害や医原病(死因の原因が医者)などの情報が広まるにつれ、東洋人の英知であり経験学である東洋医学(陰陽五行論)が徐々に見直されてきつつあるようにります。
(余談ですが、世界で活躍している華僑にとって”陰陽五行(易経)”は常識で、グランドマスターによれば、金融大国となった華僑の街シンガポールでは、陰陽五行をベースにして建物、立地が考えられているそうです。)
近所の雑誌コーナーでも随分と東洋医学の特集を見かけるようになってきました。まだまだ”陰陽五行”とのつながり、“易経”とのつながりは浅いなぁと感じますが、一過性のブームに終わらず、時間をかけて少しずつ浸透していけばなぁと思います。
グランドマスターから直に伝授頂いた『双龍門気功法』も当然ながら、東洋人の文化の源ともいえる、“陰陽五行”に基づいて設計されています。
単にポーズを真似るだけでももちろん効果はありますが、その思想、考え方を踏まえて体現するとその絶大な効果をより体感できます。
陰陽五行を語りだすとどれだけ時間があっても足りませんが、その片鱗だけでもブログにておお伝えできればと思っています。