第16話 名古屋城
私は朝7時前にホテルを後にしました。ホテルはWi-Fi完備でなかったので,スターバックスに移動して,妻や友人と情報のやりとりなどをしようと思ったのでした。
歩き始めた私を,幾度もめまいが襲います。その度に現在地が分からなくなり,グーグルマップを頼りながら移動し,ホテルから徒歩5分のはずのスタバに着いたのは,7時30分を越えた頃でした。
昨夜私が弱気になったのに反して,この日は晴れていました。しかし今回はどうしても傘を携行しなければならないような気がして,折り畳み傘を身につけていました。
スタバで朝食を摂り,メッセージのやり取りなどをして,一日の予定をもう一度頭に入れました。午前9時に名古屋城に着くためには,8時過ぎには出発しなければなりません。私は慌ててパンとコーヒーを平らげて,店を後にしました。
名古屋城に到着したのは,約束の時間5分前でした。
「5分前行動ができました^^」
と独り言をつぶやきながら,修学旅行みたいだなと思っていると,友人がやってきました。フェイスブック上の友人なので,はじめてお会いしたのにそんな感じがしません。子どもたちともすぐに仲良くなることができました。
名古屋城もソメイヨシノも見事でした。私は吹き出す汗を拭いながら,旅に出てよかったと,喜びをかみしめていました。
心配していた天気は,なんとかもってくれました。私は名古屋城内の階段の昇降に細心の注意をはらいながら観光を続けました。
名古屋城を満喫し,今度は名古屋駅までの移動です。途中鉄道に乗るために何度か階段を昇降したのですが,その度に意識が軽く飛びました。でも妻と再開できる喜びのほうが大きくて,苦痛には思えませんでした。
第17話 ひつまぶし
名古屋駅に到着してしばらくした後,新幹線で移動してきた妻と,2ヶ月半,正確には76日ぶりに再会することができました。
妻は一瞬,更に痩せた私を見てぎょっとした表情をしましたが,すぐににこやかな表情の下に隠しこんでいました。
以前から名古屋のひつまぶしを体験したいと切望していた私は,本当に楽しくて仕方がありませんでした。せっかく名古屋に来たのだからということで,友人に老舗に連れて行っていただいたのです。
名店でいただくひつまぶしは極上でした。名古屋の文化に触れた,そんな感じを強く持ちました。もう大満足で動きたくないと思いましたが,この後は勉強会が控えています。私たちは路面電車で名古屋駅前まで移動しようとしましたが,突然豪雨が襲ってきました。
私はすぐに傘を出しました。傘をさすなんて何年ぶりだろう,そう思いながら,子どもたちが濡れないように傘をさしかけました。心のなかでは,やはり私の強運は終わったのだろうかと,何度も反芻していました。
午後の有意義な勉強会を終え,これまた名古屋名物のコメダコーヒーに移動しました。私はアイスコーヒーをオーダーしましたが,有名なシロノワールもいただきました。コメダコーヒーでしたおしゃべりは,とても楽しかったです。
楽しいひと時はすぐに過ぎるものです。妻と一旦離れて,私は友人と行動を共にしました。私からのお願いで,友人はどこか静かに話の出来る場所を探してくれました。
しばらく歩くと,静かな喫茶店がありました。私たちはそこで休憩をしました。友人のお子さんへのプレゼントとして準備してきた絵本を読み聞かせた後,私は,ゆっくりと話し始めました。静かに話の出来る場所で,私は自分の病気について話し始めたのです。
友人とお子さんは,私の話をじっと聴いてくれました。私は死ぬ気はないので必ず治します。また名古屋でお会いしましょうということを約束して,さようならを言いました。
さて,いよいよ今回の山場です。妻のところに戻り,今後のことを相談しなければ。
第18話 決意
私は名古屋駅に戻り,メッセージを送ろうとスマートフォンを取り出しました。すると共通の友人と一緒に,付近の居酒屋で夕食をとっているとのことでした。私はすぐに店に移動しようとしました。店から友人が出てきて,私を手招きしてくれました。
私は友人に,私の病気について話すべきかどうか,一瞬悩みました。その瞬間,妻と目が合ったのです。妻は小さく頷いていました。そうだ,やはりこの方にもお話ししなければ。
私は友人に向かって,私の病気について話しました。彼は相当ショックを受けたようでした。
友人との楽しい夕食を終え,私たち夫婦はホテルに移動しました。部屋に入るなり,私は体から力が抜けていきました。
私は横たわった状態で,妻に詳しい現状を再度話し,今後どうするべきかを相談しました。
妻は黙っていました。それは,あなたがどうしたいのか聞きたいと言っているように見えました。そこで私は,私の考えを妻に伝えました。
「私もそれがいいと思う。手術はしない方がいい」
と,妻は言いました。多分そうなるだろうとは思っていましたが,私たちの話し合いは,わずか30秒ほどで終わりました。孔明さんの体を治したあの方にお願いしたい,私たちの思いは一致していたのです。
結論は出ました。私は翌日家に戻ったらすぐ相談メールを東洋医学の先生に送ることを妻に約束し,妻の部屋を出ました。
今度妻と会えるのはいつになるのでしょうか。私は再会の時に病状を好転させていることを妻に約束したのです。
第19話 再び,セントレア
翌4月5日,私は再びセントレア空港にいました。ここはWi-Fiも完備されていて非常に居心地の良い空港でした。私はフライト予定時刻の2時間ほど前に手続きを終え,ひたすらパソコンへ向かって打ち込みを続けていました。
この旅行のために,諸々の仕事を残してきたのです。出来る限り多くの仕事をこなしたい,そして妻が未だ経験していないセントレア空港の情報を記録に残し,今後活用するときには役立ててもらおうと思っていたので,そちらのアウトプットもあり,2時間は瞬く間に過ぎていきました。
本当はすぐにでも東洋医学の大家にメールを発信したかったのですが,旅行の途中では,いつ受信できなくなるか分からないために,我慢しました。
自分がお願いのメールを発信したが最後,30秒おきにメールソフトをリロードし続けてしまうことは火を見るよりも明らかだったからです。そして飛行機に乗り込んだ途端,
「ああ,この瞬間に連絡をくださっているかもしれない」
とやきもきする自分の姿が容易に想像できたのです。そんな精神衛生上良くない状態に自分を置くのは嫌でしたから,帰宅まで我慢しようと思ったのです。
セントレアから飛行機が飛び立った後は,あっという間に旅の終わりまで早送りされた気がしました。飛行機の座席に座った私は,すぐに記憶をなくしてしまったからです。飛行機が目的地に到着する寸前に起きた私は,普段の状態との違いから,寝入っていたのではなくて気絶していたのだということが即座に判りました。やはり相応に疲れていたのでしょう。
空港につき,預けたトランクを回収した後の足取りはとても重く,5メートル進んでは一息つき,次の3メートルを進んでは自動販売機でジュースを買う…そんな感じでした。私はなんとか自分の症状を自覚しないように,己に集中しすぎないように心を砕きながら,駐車場に停めてある乗用車に移動しました。
実はそれから後の記憶がありません。気がつけば私は,自宅で大の字にのびていました。すぐ東洋医学の大家にメールを打たなければと思う気持ちとは裏腹に,私は少しも動くことができませんでした。
第20話 第一歩
4月5日の夜遅く,私はようやくメールを打ちました。それは以下のようなものでした。
黄先生
こんにちは。私は北海道在住の加藤と申します。フェイスブックでは友達になっていただいている者です。〔双龍門気功法〕でもお世話になっております。
先日,
「アミロイドーシス」
と診断されました。西洋医学の治療法としては肝臓移植しかないらしいのですが,ドナーが現れるまでベッドの上で待つのは嫌ですし,手術が成功しても,副作用や拒否反応に人生を支配されてしまうのはもっと嫌です。
そこで先生に一度診ていただきたいのですが,どのような準備・手続きなどを行えば良いのでしょうか。おいそがしいとは存じますが,どうかよろしくお願いします。
加藤
黄先生のお弟子さんから返信があったのは,翌日のことでした。返信には,私の現状を詳しく教えてほしいということが書かれてありました。その質問は,
- 甘いものを取っているか?
- お酒を飲んでいるか?(特に気になります)
- コーヒーや牛乳を飲んでいるか?
- 喉がよく渇きますか?
- 体温はどのくらいですか?(毎日体温表をつけてください)
というものでした。私はここで,孔明さんにアドヴァイスを受けて断糖をしていたことがこのためだったのだと,理解しました。やはり私はツイている男でした。
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