第26話 関空

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 飛行機は順調に進み,予定時刻通りに関西国際空港に着陸しました。飛行機が停止し,スマートフォンの電源を入れても良いという案内がキャビンアテンダントから発せられるのを確認して,私はスマートフォンの電源を入れました。

 今回はPeachを使ったので,到着ゲートから第一ターミナルまでの移動には,シャトルバスに乗らなければなりません。私は急いでバスに乗り込んで椅子に座り,一息つきました。

 その時,スマートフォンに着信があったことに気がつきました。留守番電話が一件入っています。私は確認したくないという気持に抗い,なんとか留守電を再生させました。

 発信者は父。内容は予想していたとおりでした。第一ターミナルに着く直前に届いた訃報に,私は激しく動揺しました。

 今回職場には,

「多分妹の葬儀に参加することになると思います」

と告げて出発したのですが,北海道を出る頃はまだ妹は存命中で,半ば覚悟しながらも,心の何処かでは私が駆けつければ病状は好転するかもしれないという思いもありました。

 私はその思いに区切りをつけるためにも,職場に電話を入れました。もう,妹は戻っては来ない。それを受け入れ,前に進むしかないのだと言い聞かせながら。

「もしもし,加藤です。先程関空に着きました。留守番電話で知ったのですが,既に妹は」

 ここまで一気に話した私は,その次の句を発することにためらいを覚えました。押し黙った私に,何も言わずに待ってくれている同僚の息遣いが聴こえました。私は意を決して,再び話し始めました。

「妹は亡くなってしまったとのこと…」

 私は不意に込み上げ,涙で包まれました。もう,言葉を発するのがせいいっぱい,そんな感じになりました。予期していなかった急激な感情の揺れに戸惑いながら,今週いっぱいは大阪に滞在する旨を同僚に伝えました。

 彼は,

「分かりました。なんと言っていいのか。教頭先生に代りますか」

と言いました。私は,

「いや,今は」

と話したところで,限界を超えました。声を上げて泣きはじめた私は,同僚に謝りながら通話を切りました。周囲の人が驚いてこちらに視線を注いでいるのを感じましたが,暫くの間,泣き止むことができませんでした。

第27話 新世界

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 今回の旅行は,いつまでかかるか予想できないものでした。これまでも幾度か妹を見舞ってきた私は,私が顔を見せる度に彼女の体調が好転してきたことを知っていましたから,今回もなんとか持ち直してくれるかもしれないという,淡い期待を捨て去ることができないでいました。

 その場合には妹が危篤状態を抜け出して安定した段階で帰道することになると考えていましたし,最悪の場合でも,私の到着後数日間は妹の闘いが続くと思っていましたから,全く予想が立たなかったのです。

 いや,この件については出来る限り思考を停止したかった私は,あえて予定を立てたくなかったのかもしれません。いずれにしても滞在費用がいかほどのものになるのか想定できなかった私は,宿泊費をできるだけ削りたいと思っていました。

 大阪というところは大都市です。都市特有の,きらびやかで豪奢なランドマークがその威容を誇っているというイメージが強いのですが,昔ながらの“大阪らしさ”を未だに持ちあわせてもいました。一泊5万円以上もする豪華なホテルが有る一方で,一泊千円以下の木賃宿もまた存在していたのです。

 私は今回,いわゆる〈新世界〉界隈に宿の予約を入れていました。天王寺動物園や通天閣の近く,いわゆる日雇い労働者が定宿にしている通りです。〈あいりん地区〉といえば分かるでしょうか(本当は少し違う場所ですが,おおまかに言えばあっていると思います)。

 ここに泊まるのには勇気が必要です。宿に到着した私を待っていたのは,様々な民族の言葉が飛び交う空間でした。私はフロントらしきところに声をかけました。すると管理人は,

「にいちゃん,鍵使うか?」

と,想定外の質問を投げかけてきました。話を聞いてみると,鍵が必要な場合は1000円が必要で,これはチェックアウトの際に返却されるとのこと。鍵をそのまま奪っていってしまう輩が多いゆえの対応だとのことでした。

 私は予想以上の事態に遭遇して緊張感に包まれました。この状況で鍵のない部屋には入ることができないと感じた私は,1000円を支払い,玄関で脱いだ外靴も部屋に持ち込みました。

 結果的には今回の旅行で困った事態に陥ることはなかったのですが,靴も荷物もしっかりと両手に抱きかかえながら眠るという数日間を過ごすことになってしまいました。

第28話 早朝,天王寺にて

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 翌日私は午前5時に跳ね起きました。自分の泊まった室内に異変がないのを確かめると,安心して身支度をはじめました。

 昨夜父と電話で連絡を取り,午後2時に葬儀場の最寄駅で待合せをすることになっていました。宿泊場所には電源もあったのですが,長居はしたくない場所であり,朝食をとる必要もあったので,午前6時には宿を出ました。

 ご存じの方はおわかりでしょうが,私は極度の方向音痴です。目的の駅まで20分ほど歩けば到着するとグーグルマップは示していましたが,結局1時間ほど要しました。目的地は天王寺駅。つい先日オープンしたあべのハルカスのある所です。

 私は巨大な歩道橋の上から周囲を見渡し,早朝から開店しているコーヒーショップを見つけ,朝食セットを食べました。

 さて,この後の時間の使い方が問題です。天王寺駅から電車に乗ってしまうと,待合せ駅までは30分ほどで着いてしまいます。少し考えて,近くにあるスターバックスに入ることにしました。

 午前7時台のスタバは空いていました。私はホットコーヒーをオーダーし,PCを取り出しました。大阪にいる間に終わらせておきたい仕事が溜まっていたのです。

 私は夢中で仕事を続けました。妹のことを考えないようにしていた,きっとそうだと思います。今回持ってきた仕事の大半をやり終えた頃,時刻は11時を過ぎていました。気がつけば,お腹もすいてきました。私は店を出てお昼ごはんを食べに行くことにしました。おしゃれな店がたくさんありましたが,自然食品を扱った店に入りました。きっと体がそういうものを欲していたのでしょう。

 昼食後は駅に直行しました。まだ1時間ほど余裕がありましたが,なぜか早く動かないといけない気がしたのです。私がホームに着いた頃,外は土砂降りの雨になっていました。私はホームのベンチに腰掛け,メルマガの執筆をはじめました。

 いつもはスラスラと出てくる文章も,今日は全くダメでした。それでもキーボードに向かっていると気持ちが落ち着く感じがして,1行書いては削除を繰り返しているうちに電車が来ました。

第29話 再会

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 あっという間に電車は目的地に到着しました。私は少し緊張しながら,改札を通り抜けました。言われた通りの場所で,しばし待ちます。北海道は未だ雪が残っているというのに,大阪は既に初夏の暑さでした。

 数分後,見慣れた顔が現れます。いつの間にか腰の曲がった父との再会は,感傷的になるひまもなく過ぎました。ここから10分ほど歩けば葬儀場に着くということで,私は初めての道をゆっくりと歩き始めました。

 最初は父と並んで歩いていましたが,軽いめまいを覚えたので,少しだけ父を先行させる形になりました。私の疲れた様子は,父の視界には入れてはならない,そう思っていました。

 会場に着いたら,父と打ち合わせです。私は今夜は妹のそばに居たいので,留守番をさせてくれと頼みました。会場にはシャワールームもあったので,通夜の守りは私が行い,明日の告別式に備えることとなりました。

 そうこうしているうちに,妹の息子たちが着きました。私が心配しているよりも,彼らは気丈でした。半年の,死に向かっての闘病生活を支えた父と息子たちは,ゆっくりと“覚悟”を醸成してきたようでした。

 通夜開始の1時間前,私はようやく妹と対面することができました。今すぐに動き出そうとしているかのような妹を見て,なんだ,入院している時より元気じゃないかと思いました。私は穏やかな彼女の顔から目を離すことができませんでした。私は

「おつかれさんやったな。兄ちゃんは病気に勝つで!お前の分まで長生きしたるからな,応援しとってや!」

と,心のなかで最愛の妹に呼びかけました。

 私が発病したことは,父を始め,親戚一同の誰にも知らせていませんでした。妹の病状が重くなるに連れ,言い出せなくなってしまったのです。特に父に伝える勇気は,私にはありませんでした。私は自分が完治した暁には,発病していたことを明らかにしよう,そう心に決めたのでした。

第30話 計画変更

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 妹の通夜・告別式は滞り無く済みました。その後の繰上げ法要まで無事に済ませた父は,ようやく安堵の色を見せました。父は私に礼を言いました。そしてそこに同席していた親戚一同に,私の自慢話を始めたのです。

 父の話す内容は,半分以上が虚構でした。元気そうに見えてもやはり高齢,彼の脳内には,私が理想の息子としてレタッチされてしまったようでした。父の記憶・認知能力が落ちたことと妹の看病には,なんらかの関連がある,私はそう思いました。

 娘が自分よりも早く逝ってしまうという,許されざる事態を処理するために,父は己の認識能力を落とした,もしそうならば,私の発病が父に知られることは,なおさらに,残滓となった父から某かのものを奪うかもしれない,そう思うと,やはり私は自身の病状について詳らかにすることは不可能だと悟ったのでした。計画は変更されたのです。

 妹の回復に一縷の望みをかけていた私は,休みを多く取り過ぎていました。もう飛行機の手配は終わっているし,留守の間の補欠授業の計画も万全だったので,残る2日間,大阪の町に居座ることにしました。

 北海道に戻ったら,それから暫くは食事制限が続きます。ひょっとしたらもう二度と好きなものを食べられなくなるかもしれません。そう思うと,今しか味わえないものを最後に楽しむ,そうすべきだとの思いが強く湧き上がってきたのです。

 私は早速,お好み焼きを食べにいきました。本当に久しぶりのお好み焼きです。焼きあがったモダン焼きを食べ始めた私は,いつの間にか涙を流していました。その後大阪滞在中に,串カツもたこ焼きも豚まんも明石焼きも堪能しましたが,その度に私は涙しました。

 そうして一つ一つ精算をした私は,いよいよ大阪を離れ,自分が健康になるためのチャレンジを始めることになったのです。

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