第41話 帰路
その後,昨夜思い出したこととして,ずっと右肩が上がらないという話をしました。やはり右かと思いながら話をしました。現在の病気が治れば改善するのですかと尋ねると,黄先生はそうだとおっしゃいました。
私の命式を見たら,私は〔木〕ばかりだということ,生まれた時から肝臓が弱かったこと,父からの影響だということなどが話されました。
実際に病気で死んだのは母なので,両親そうだということですかと質問すると,そうだとのことでした。肝臓が弱いから,肝臓を治し強化する施術をすれば良いのだということでした。
今年は〔甲の午〕で,私にとって,これはすごいチャンスだそうです。弱っている体に対して,すごくよくなるか,すごく悪くなるかなんだそうで,そして今回治療を始めているから,悪くなることはないとのことでした。今回は来るべくして来たのだということなのだなぁと思いました(これはあくまでも私の場合です。一般論ではないと思います)。
昨日と同様に施術していただき(やはり最初は痛かった),終了。そして命式の図を見せていただきながら,解説を聞かせていただきました。
しかし難しくて殆どわかりませんでした。私につながる家族のこと,私との関係などを説明していただきました。最終的には,我ら家族3人は,再び一緒になるのが良いとのことでした。
最後に奥様が出てこられ,お二人に見送っていただきながら,医院をあとにしました。
羽田空港に着いた後,数時間の余裕があったので,広い空港の様々なところを歩いてみましたが,体調が悪くなることはありませんでした。定刻通り出発した飛行機に乗り込み,帰宅するまでの間,仕事に集中することができました。
こんなに体が軽くなったのは,ここ最近では始めてのことでした。将来に展望を見出すことができた,素晴らしい3日間でした。
第42話 逆戻り
5月16日以降,体が非常に軽くなり,体育のマット運動で前回りができるまでになりました。調子に乗って続けていたら,さすがに目が回ってしまったのですが。
しかし日増しに体調は元に戻り始めました。運動会の前には完全に元の状態に戻ってしまいましたが,調子が悪くても何とか出来るという安心感を得たことは,以前とは比較にならないほどの前進でした。授業中も呼吸法を行えば改善することが多く,学校の廊下で立ちすくむ,あるいはしゃがみこみ続けるということは,なくなりつつありました。
6月8日(日),今年度の運動会が行われました。すでにお話しした通り,私はふらつき防止という観点から,頭の位置をあまり動かさずに済む〈審判係〉の責任者に配属されていました。
本番は朝から体調がイマイチでしたが,さすがに本番,数百人の観客に見つめられているという緊張感は,私を奮い立たせるのには充分でした。
最初はなんでもなく活動できていましたが,“それ”は突然やってきました。立ち上がった瞬間にふらついたのです。審判は,子どもたちが競技している最中には目立ってはならないのでしゃがんでいるのですが,判定をする瞬間には,立ち上がらなければなりません。その瞬間にふらついたのでした。
なんとかごまかしごまかし取り組みましたが,それも午前の部の終盤には我慢できないほどになっていました。午前の終盤はリズムダンスの披露やPTA競技などがあり,審判は一休みできました。私はその時間に,他の審判係の先生に後を頼み,自身は職員室に向かいました。日陰で風通しの良い部屋で休息するためでした。
本来は午前の部最後の競技=低学年リレーを裁かねばならなかったのですが,大事を取ったのです。
その後無事に昼休みに突入,事なきを得ました。
午後は症状がいつ出るか,ひやひやしながらの参加となりました。いつ症状が出るかわからないという状況は,精神的にキツかったです。こわごわ取り組むと,こんなに疲れるのだなということが実感できました。
肩に力が入った数時間をやり過ごし,なんとか運動会を終了させ,ほっと一安心。職員一同がてきぱきと片付をしているのに,私はゆっくりとしか動けず,申し訳ない思いでいっぱいでした。そういえば前日準備もあまり動けなかったことを,改めて思い出していました。
第43話 ふたたび,八王子へ
その後私の病状は,一進一退をしながら,それでも着実に改善の坂道を登っていきました。呼吸法の活用,玄米ジュースの併用などを通して,完治への希望が太く強くなっていくのを,日々感じ続けました。ですから,たとえ今日は調子が悪くても,改善するために自分が対処できる,そう思えたのです。
6月24日,職員朝会の席で〔教職員健康診断〕について説明がありました。私たち公立学校教員は,必ず受けなければならない健診です。受診は私たちの権利および義務なのですが,私はこの健康診断を受診して良いものかどうか,迷いました。
検査の際にバリウムを飲まなければならないのですが,私の腸は弱っているはず,そんな状態で体に異物を流し入れることは良くないことだろうと予測がついたからです。
そこで私は,検査項目をスマフォで撮影し,黄先生のお弟子さんに送りました。
「おはようございます。今朝の職員朝会で,健康診断について話がありました。現在の私の状況で,検査を受けて支障ないのでしょうか。検査項目を写真添付します。特に気になるのは,X線・バリウム・採血です。よろしくお願いします」
それに対して,同日午後に,お弟子さんから返信がありました。黄先生の言葉を伝えるメッセージは,私が予想した通りの内容でした。
そのメッセージは,健康診断は受けないようにという内容だったのです。私は納得しましたが,それに引き続くメッセージの内容に気の引き締まるのを感じました。メッセージは,再び施術を受けるようにという内容だったのです。
私はすぐに
「よろしくお願いします」
とメッセージを返しました。その足で校長室に向かい,休暇をとることを告げたのです。
第44話 ワックスがけと窓磨き
7月26日,我が職場は夏季休業(いわゆる夏休み)に入りました。休みになるのは,もちろん子どもだけです。私たち教職員は,子どもが登校してこない時にしかできないことを中心に仕事をします。
その中でも大掛かりなものに,教室のワックスがけがあります。本州では年中いつでもできるのかもしれませんが,ここ北海道では,夏休みにしか行えないものです。それは,子どもがほとんど登校してこないことに加えて,塗ったワックスが固定化してくれるためには一定以上の気温と換気が欠かせないからです。
秋以降にワックスがけをした場合,ワックスは乾きづらく,換気をしている間は校内が冷えきり,しかも管理職はワックスが固化したと判断できるまでは窓を閉められないので防犯上の問題で冷えきった校舎内に留まらなければならなくなります(私は管理職ではありませんが,実際に一度,経験したことがあります)。
7月28日〜29日,勤務校はほぼ全ての教室のワックスがけ・窓磨きと,玄関まわりの清掃・窓磨きを全職員で行うことになりました。しかし夏休み中ですから,若手の教員は地元に帰省していて,残されたのは3分の2ほどでした。
私は数日後に八王子に出向く関係上,休暇をとることができませんでした。皆の足手まといになるだろうという思いを抱えながらの出勤になったのです。
夏休みまでの数十日,基本的に私は休むことがありませんでした。退勤後,どんなに体調が悪化しても,朝になれば意を決して職場に向かってきたのです。ですから同僚は,私の体調を気遣うことがありませんでした。
これは当然のことです。もちろん皆に気苦労をかけていることは分かっています。しかし自分が罹ってみなければわからない症状は,想像することができないと思われました。
ですから当然のように,ワックスがけ・窓磨きの人員として,私も配置されていました。私は窓磨きを選び,脚立を使いながら各教室を廻りました。そこでまた,立ちくらみと闘うことになりました。
第45話 次の日,早朝
立った状態で手の届く範囲の窓に対しては,特に問題はなかったのですが,脚立に登り,斜めを見上げた状態で窓磨きをしようとすると,とたんに目眩が襲いました。
脚は震え,目は霞み,腕は鉛のように重く感じます。他の同僚が3つの教室を廻る間に,私は1つをこなすのが精一杯でした。
私の様子を見て,同僚たちははっとした表情を見せます。そして,そういう教師としては日常的な活動までが辛くなってきている私から目を逸らし始めたのでした。
全ての教室のガラスは,きれいになりました。私たちは玄関に行き,そこにあるガラス磨きに取り掛かり始めました。こちらは教室とは比べられないほど巨大です。教室で苦労していた私は,さらに試練が襲ってきたことが容易に分かりました。覚悟しながらガラスに対峙しました。
しかし,ここで私は救われます。教室のガラス磨きの様子を見知っていた同僚たちが,私の担当として,自分の目線よりも低い部分のガラス拭きを命じたのです。私よりも十歳以上も若い同僚たちに気を遣わせてしまったことに恥じ入りながらも,私は本当にありがたいと思いました。
午前中いっぱいかかって,初日の仕事は終わりました。午後からは学級の残務や夏休み明けの準備などを,各々が行いました。私は所属する教務部の会議に参加し,夏休み前の反省を終えました。
その後,学芸会の脚本を書き,他学年から依頼されていた作曲を終わらせました。午後5時30分を過ぎたので,退勤です。ふだんは午後8時近くにならないと退勤できないほど仕事が多いのですが,やはり夏休み,残業をしないで終わらせることができました。
明けて2日目。私は少し早めに出勤しました。1日目の様子から,私は早い時刻から窓磨きに取り組まねばと思ったからです。いくらなんでも3分の1の仕事量では,もうしわけなさ過ぎると思ったのです。
私が職員駐車場に自家用車を停めた時,おかしいなと思いました。いつもなら数台しか停まっていないはずの車が,10数台もあったからです。私は職員室に急ぎました。
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