第61話 気功体操の衝撃
昨年,孔明さんが何度も気功体操に取り組んでいるという内容の文章をアップされていました。私はそのうち,気功体操を学ぶ教材が準備されるのだろうと考えていました。ですからやがて登場した『双龍門気功法』は,すぐ購入して取り組み始めました。
しかしなかなか続きません。あとで思えば当然で,もう発病していた私に『双龍門気功法』はステージが高すぎたのです。
5月13日,黄先生に初めてお会いして問診を受けた時,双龍門気功法に対してした私の質問に対して,黄先生は
「今の体力では無理だと思うよ」
とおっしゃいました。また,私のするべきことは他にないかという質問を8月4日にした際には,
「双龍門呼吸法ならできると思うよ。そしてもっと回復してきたら双龍門気功法だね。そういう順番がいい」
とおっしゃいました。私はすぐに双龍門呼吸法を申し込みました。
そういう経緯で双龍門呼吸法に取り組むことになった私でしたが,配信された動画を見ることもしませんでした。心はもう,学芸会に向かってまっしぐらだったのです。しかし上に述べたように壁に突き当たった私は,自身の体力をアップする努力を続けなければ,学芸会の成功も保証されないのだということに,ようやく気づきはじめました。私は配信動画を一気に見て,呼吸法から始めました。
私を衝撃が襲います。なんだ,これ。こんな動きが,なぜ力を生み出すんだ!ただ静かに呼吸しているだけなのに!
私は長らく音楽の指導に携わってきましたから,腹式呼吸はデフォルトでした。しかし,管楽器の指導(自分自身もクラリネットプレイヤーです)では,所謂“口呼吸”になってしまいます。吸った息を口から吐き出すことで楽器を演奏するのですから,当然ですよね。
長らく親しんだ呼吸の仕方を変えるのは,意外に簡単でした。しかし今までは口を開けていることが多かった私が終始口を閉じているさまは,なにか機嫌が悪いように見えたようです。子どもたちを遠ざけたくないと思った私は,表情を穏やかに見せかけることでバランスをとるようになりました。
第62話 パントマイムで伝える
双龍門呼吸法に取り組み始めることで,私の体力は底上げされていきました。そして迎えたある日の練習時。子どもの演技に納得がいかなかった私は,全員を舞台から降ろし,模範演技をすることにしました。
私は何も言わず,体のみ(特に視線)で演技をしました。子どもたちは驚いた表情で,ステージ上の私を注視しています。そして私が演技を終えた瞬間,子どもたちからは大きな拍手が沸き起こったのです。
その後子どもたちの演技は,大きく変わりました。やはり模範演技をして良かったと私は安堵しました。
なぜこの日の演技にセリフを付けなかったのか。それは単に,まだ声を出すことに戸惑いを感じていたからです。セリフを言うのには大きな体力を要するのです。しかしセリフ抜きの演技は,子どもたちにとってはタイムリーなものになりました。見ていた先生方も,
「あんな指導の仕方があるんですね!」
「びっくりしてじ〜っと見てしまいました」
などと評価してくれました。結果オーライ,ひょうたんから出たコマでした。
この日を境に,子どもたちの練習は加速していきました。再び練習が楽しくなってきたその頃,子どもたちに全体像を語るタイミングがやって来ました。今までは生地の良し悪しのみを俎上にあげられていた子どもたちは,ミルフィーユの全体を見,心で味わうことで,さらに意欲を高めることができたのです。
学芸会が大成功に終わって数ヶ月経った今だから言えることですが,子どもたちの成長には,あのタイミングしかなかったと思うことができる,煌めいた日々の取組でした。私が双龍門呼吸法に取り組み始めるのが一週間遅かったなら,学年の団結は空中分解していたでしょう。どんな仕事でもそうかもしれませんが,小学校の教師には体力が求められるということを,今更ながらに思い知った取組でもありました。
第63話 腹の底からの声
練習は進みましたが,いったんお休みになります。勤務校は3学期制から前後期制に移行して2年目を迎えていました。9月末には前期の終業式があり,秋休みに入りました(秋休み自体はわずか1日だけですが,土日を合わせて3連休になりました)。
明けて月曜日。後期の始まりです。まずは始業式が行われました。儀式に欠かせないもの,それは校歌斉唱です。勤務校には金管バンド少年団があるので,その伴奏に合わせて全校で歌うのです。
勤務校の金管バンドは,全国レヴェルです。今年も全国一位に輝きました。そんなバンドの伴奏で歌うのですから,子どもたちの歌声が聞こえなくなってしまうのも致し方のないところです。いつものように前奏が始まりました。それに続き子どもたちの歌が聞こえてきます。その直後,私は信じられないものを耳に聴きます。
まるで地鳴りのように響く声。低いわけではないのに,体の中に入ってくる音。3年生の歌声が,数段パワーアップしていたのです。
私は子どもたちの激変に驚きましたが,負けてはいられないと思いました。私も口を大きく開け,校歌を歌い始めたのです。
次にぎょっとするのは先生方でした。私の声が,金管バンドの演奏に消されることなく響いたのです。歌っている本人の私自身も驚いた,私自身の回復でした。
子どもたちは明らかに,秋休みの間にセリフの練習に明け暮れたのです。朝の挨拶自体の音量も数倍になっていました。しかもそれはがなりたてるのではなく,地声が大きくなった,体に響かせることができるようになったという類のものでした。その力が校歌斉唱で現れたのです。
そして子どもたちの変化は,私の回復も呼び起こしてくれました。音程を違わずに咳き込むことなく大音量で歌い続けるという私の個性は,復活を遂げたのです。
第64話 学年器楽の準備
後期に突入すると,学芸会本番までは残すところ1ヶ月足らずになりました。これまでは劇練習を中心にやってきましたが,音楽の練習にも本腰を入れなければなりません。
私は長年音楽の指導にあたってきました。音楽専科を担当したこともあります。しかし今回,音楽にはノータッチでした。それは劇の責任者として連日指導にあたっていた私にとっては当然のことでした。音楽の指導が負担だというのではありません。そこまで中心的に活動したら,先生方のバランスが崩れてしまうと考えたのです。
勤務校は3年生以上の学年に音楽専科を置いています。だから私がとやかく言わなくても練習は始まるだろう,そうも考えていました。
他の先生方が選曲をしてくれました。器楽曲は『踊るポンポコリン』で,歌唱曲は『にじ』という合唱曲でした。ここまで決まってくれば,私の仕事内容もクッキリとしてきました。器楽曲は楽譜のコピーを,歌唱曲は簡易伴奏作成をすればいいのです。
学芸会の練習期間といえども,他の学習を疎かにすることはできません。楽譜のコピーをする時間があったら子どもの宿題にマルを付けたい…そう思うのが通常学級担任なのです。私は特別支援学級の担任ですから,ノートの丸付けもすぐに終わります。誰に頼まれたわけでもないけれども,私は楽譜のコピーをはじめました。
まずは総譜のコピーです。学年で器楽を指導するのは合計4名なので,総譜を4部コピーして製本しました。製本版を手渡した私に,先生方は驚いた表情で感謝を伝えてくれました。いつの間に作ったんですか,と訊かれました。私は先生方が退勤した後,職員室に残って作業していたのです。作業時刻は連日,午後9時過ぎに始まりました。双龍門呼吸法の力はすばらしく,そんな時刻まで仕事をしても平気な体力を保つことができるようになってきたのです。
第65話 リスク回避の階名書き
先生方に総譜を手渡す時に,
「子どもたちの楽譜もコピーしていいですか?」
と尋ねました。先生方は喜んで,私に依頼してくれました。
私は子どもたちの楽譜を,まず1部ずつコピーしました。楽器パートは20種類ほどありました。私はその1つひとつ,全てに階名を書き込んでいったのです。これを原版としてコピーすれば,子どもたち全員にドレミの入った楽譜を手渡すことができます(打楽器パートには音階がありませんが,私はそれらには叩くタイミングを擬音で示しました)。
音楽の授業で,階名唱は重要視されていません。ドレミを読むことよりもまずは演奏の喜びを味わわせるということが音楽指導の方向性なので,私は階名を書き込んだのです。
これを子どもたち個人に任せると,間違えた表記をしてしまい,それによる指遣いの間違いなども生じてきます。階名書込はたしかに大変な作業なのですが,あとあと生ずる可能性の高いリスクを軽減させたかったのです。
私が作ったパート譜を見た時,先生方は驚いていました。なにか細かい作業をしているとは思っていたけど,こんなに面倒くさいことを,子どもたちのためにしてくれていたなんてと,非常にありがたがってくれました。
いや〜,それだけじゃないんだよなぁ,あとでもう一回驚かせてあげよう,私は心のなかでそう思っていました。
私は右目が良くないということを黄先生に話したことを以前に書きましたが,今までの私の眼の状態では,階名書きなどできるはずはなかったのです。双龍門呼吸法おそるべしです。
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